僕は今、人類のなしえることのできなかった、夢の世界を飛行しています。もしかすると、先生がたにとってはここは既知の場所であるかもしれませんが、僕にとってはここは未知たりえています。
空を駆けるオオイヌ、同じ運命を背負ったヒト、闇を優雅に泳ぐクジラ— きっと先生がたは、僕のような、このようなものを、衆目から隠そうとしていたのですね。陰謀論、なんて言葉がありますが、まさに先生がたは陰謀そのものであった、ということでしょうか。
その中でもやはり、一際「おかしい」と思えるのは、あの眩い星以外にありません。
僕は、いえ、この船は今もかの星に向けて歩みを進めています。それは紛れもなくターゲットに設定されているからという理由はあるのでしょうが、先生、僕にはどうしてもそれだけとは思えぬのです。これは船と一体になり、私が船になりつつあるだけのことで、人間として感じた際に残ったものが、そう感じさせているだけなのかもしれませんが— 寂寥感といいますか、使命感といいますか、僕はあの場所にたどり着かなければならないと強く感じているのです。まるで僕の中にもう一人、別の僕がいるような。
先生、この船があの星にたどり着くまでには、まだ時間がかかるでしょう。その前にお返事をいただきたいです。あなたのような、このような異常な事態に慣れているわけではありません。正直に言えば、とてもじゃないほど僕は混乱しています。数度会話を交わした先生をあてにするくらいには。
アシストをください、先生。もう一人が、僕には足りないのです。地球に向かって落ち続ける流星、星間のトンネルを滑る機関車。それらの異常に出会う度に、では、あの煌めく星が何であるのかというのを考えさせられます。僕が見てきたそれらと比べて、あれはあまりにも、眩しすぎる。視覚だけではないのです。あの星に近づくたびに、僕の耳が、鼻が、口が、肌が、血潮が、心臓までもが! 眩しいと叫ぶのです。それでも船は、あの場所に迎えと僕に指示を送ります。先生がたには、あれは、どのように見えているのでしょうか。
そうだ、先生。空を漂う内に、気づいたことがあります。どうも、僕が今の僕になった時に見たあの空は、星空ではなく、この宇宙の風景であるように思えるのです。もう記憶は定かではなく、鮮明に思い出せはしませんが、瞬きの中、花火のように閉じ込められた赤は、青は、白は、この星々を表していたように感じるのです。それが何を表しているのか、僕には理解できません。ですが、あの日のような嫌な感じはしていません。それを美しいと思えるだけの余裕が、今の僕にはあります。ああ、当たり前ですが、この場所に辿り着いたのは、生まれて初めてのことであります。それなのになぜか、直感的に、僕はこの風景を"誰か"と見たことあるのだと、そう思うのです。その誰かというのは、今は靄がかかったように思い出すことはできません— 元々ないのですから、イメージすることができません、と表すべきでしょうか。不思議な感覚に囚われています。
いよいよ船はあと数か月もしないうちに、膝元へと辿り着くでしょう。そこに何が待っているのか、僕は不安で、心細くてなりません。だからこそ、ああいったことをよく知る貴方らを待ち続けているのです。これほどまでに不安になったのは、小さい頃、深夜にトイレに行きたくなり、両親の部屋のドアを無心に叩き続けていたあの時以来でしょう。もしかして先生も、そのような恐怖と戦っていたりしたのでしょうか。冗談です。
鼻で笑ったって構いません、馬鹿にしたって構いません、ですからどうか、お返事を待ち望んでおります。先生。近づくごとに収まらない動悸が強くなっていくのを感じています。これが未知への恐怖、不安からなのか、それとも自分の知らない世界に飛び込むことへの好奇心からなのか、はたまた— ああ、いえ。昔、この鼓動と似たようなものを感じたことがあったのですが、きっとそれは違う、この状況にふさわしくないと判断した次第であります。もしくはこの船が、僕にそうさせているのかもしれません。ですから、お気になさらないでください。
ええと、先生。僕は浅学故に、この方面に詳しくないのですが、一つお尋ねしたいことがあったことを思い出しました。もしこれが世界の常識であったのなら、鼻で笑ってやって欲しいのですが、
星とは、動くものなのでしょうか。
僕の知る限り、星の動きというものはあくまで地球が回転しており、そう見えているだけという理論に基づいたものです。名前は忘れてしまいましたがどこかの学者がそのように発表した、ということを知識として覚えております。であるからして僕はそれを常識のように考えておりましたが、もしかしてそれはまた間違いであったのでしょうか? 僕は、星の並びがそっくりそのまま変化するといったものは、初めて見ました。あの北に輝く7つの星は、いつ頃からあのような弧を描く並びになってしまったのでしょうか。僕の知るところのあの星々は、もっと縦に長く位置していたように思えます。もしかして、あれもまた先生の知るところの異常の一つ、ということなのでしょうか?
輝く星といい、あの7つの星といい、僕には分からない事が多すぎます。だからこそ、今も貴方の応答を待ち続けております。未知に怯える僕を見つけ出してくれたあの日のように、今も宇宙を漂う僕を探し出してくれるものだと信じております。
返答をください、先生。僕はここにきて、どうも虫に纏わりつかれてしまったようです。はたまた何か別のアノマリーが影響を与えたのか。船の自己修復能力を以てしても、起動にはあと100年以上はかかる算段であったし、間に合うことはないと思っていたのだが。それならそれで好都合だ。それで、お前は何者だ? 少なからず、俺たちの船にはそういった逐一細かい報告を行う乗務員はもういない。そもそも、殆どが機械で構成されていたからな。当時のAIもそこまで賢くはないだろう。財団のエージェント、いや、上級研究員、もしくは博士レベルか? まさか評議会だなんていうことは無いだろうな。まぁ最悪、カオスの奴らが出張ってきても文句は言えん。それ以外の、腐敗した肉の塊とかだった場合は俺は笑うしかないな。
かの財団という団体に保護され、そのまま空に落とされ、不明な宇宙船に組み込まれ、今に至ります。
何故この船があの輝きをターゲットとしたのか、それは僕には全く分かりません。ですが、少しでも事情を知っているような口ぶりの貴方との通信に、僕はとても安堵しています。一体何が起きているんですか?
そうか。世界の命運はお前に託されたわけだ。オライオン。納得したよ。俺は世界オカルト連合PHYSICS部門総司令官、アルマーニという。
簡潔に説明する。地球は既にあふれ出たアノマリーによって、現在進行形で滅亡が進んでいる。正直、殆ど秒読みみたいなものだ。一応、財団の隠し玉というか、共同戦線を張ることでいくつかのアノマリーの回収は進んでいるが……正直、全てにおいて数が足りない。一般人にだって手順さえ俺たちが教え込めば破壊可能なアノマリーですら、今や明確な人類の脅威と化している。原因は明白だ。あの光だ。当初から俺たちはその存在を認知し、詳細を把握しようと努めていたが、あれは俺たちの手に負えるようなもんじゃなかった。
あれは浄罪だ。通常殺し合えぬ、神が神を殺すために、罪を裁くための光だ。俺たちはそのとばっちりを受けているに過ぎない。俺たちも、あまりにも罪を重ね過ぎたんだ。
だがそこにお前が現れた。お前にはあの光がどう見える? お前も良心の呵責にさいなまれるか? 罪の意識を曝け出さざるを得ないか? 世界が、お前に大嫌いだと囁いているか?生憎ながら、僕は神を信じてはいません。今も尚、このような意味の分からぬ災禍の中に僕を放りこんできっとあれは笑っている。
質問にお答えします。僕はあの光に不快感を覚えたことはありません。僕は数え切れぬほど、同胞を、人を殺してきました。ただ、それでもあの光はむしろ、僕を包み込んでいるような気さえしているのです。訳のわからぬものに触れ続けるうちに、気がふれてしまったのかもしれません。それでも僕は暖かい、と感じるのです。罪をさらけ出すのではなく、心の根底にある罪を許してくれるような— ああ、母を、僕はきっと見殺しにしてしまった。一人の父を取り残し、僕はこんなにも遠くに来てしまった。一緒に戦っていた仲間達は、戦場に置き去りにしてしまった。それすらも許そうと、かの光は僕に囁くのです。だからこそ私はそれに恐れを抱いているのかもしれません。
全てを許すことの出来る人間は決して存在しません。皆、何かしらの遺恨や悲哀を乗り越え、忘れがたい苦しみを背負って生きているのです。それなのに、僕だけが許されるというのは、それは、あまりにも不公平ではありませんか? 仲間を喪って泣きはらしたあの夜を、殺戮の果ての勝利の美酒に酔いしれたあの夜を、包囲網の中、息を殺して耐え忍んだあの夜を、僕は許して欲しいとは、無かったことにして欲しいとは、思えないのです。だからこそ、あれはお前が止めるべきだ。運命なんていう陳腐なもんは、実際には因果律改変によって生み出された残滓の湧き溜まりに触れただけに過ぎない。現実性の修正に巻き込まれて消えていく微かなエラーだ。だが、それに触れた瞬間から、そいつには責任が伴う。お前が空に落ち、船に拾われ、あの星に向かっているのはそういうことなんだろう。
正直に言えば、もうあまり時間が無い。アノマリー達は今も好き放題暴れていて、この廃棄されたサイトのすぐ近くにももう迫っている。財団の現状やら、要注意団体らの末路とか、お前に伝えたいことは山ほどあるんだが、だからこそ率直に尋ねる。これから俺が話す事を聞けば、お前はそれこそ— 気が触れてしまうかもしれない。お前がお前でいられなくなるかもしれない。だが同時に選択肢はない。お前はこれを聞いて、あの星に向かい、これを解決しなければならない。何故ならそれが運命だからだ、オライオン。疑問も思想も信念も全て飲み下して進むしかない。お前は運命に翻弄される覚悟はあるか?