書くぞ

 うだるような暑さとはこのこと。室内にいながらにして、私たちはぐったりとソファの上で溶けている。

 めいっぱい“強”にした扇風機が一生懸命空気をかき混ぜてるけど、この湿気たっぷり熱気たっぷりの室内においては、ただ熱風を吹きつけてくるだけに等しい。

 不快だ。このうえなく不快だ。せっかくの休日だというのに、汗をだらだら流しながら横になってテレビ画面へ力なく視線を注ぐことしかできない。

 それもこれも、愛しいみやちゃんのせいだ。

 倹約家もといドケチなみやちゃんは、めったにクーラーの稼働を許してくれない。汗で前髪を貼りつけながら、彼女は物憂げな顔をして文庫本を手に寝転んでいる。こんな暑さのなか、よく本なんか読めるな、と思う。癒しを求めて流してる子ども向け番組の内容も、私の頭のなかには入ってこない。全開にしたベランダの窓から届く、耳をつんざくほどの蝉の大合唱だけが脳内を支配してゆく。

 茹だる。息を吸うたび、汗が首を伝うたび、気力が熱気のなかへ霧散していく。

 だめだ。活力をもらわないと。最強に癒されるものを摂取しなければ。

 汗でべとつく体を這いずって、隣のみやちゃんへだらりとのしかかる。

 だがしかし、せっかく最後の気力を振り絞ったのに、みやちゃんはあっけなく腕を突っ張って私を遠ざけた。

「暑い」

「暑いよ〜嫌と言うほど知ってる。でももうみやちゃんとくっついてないと理性を保てないんだよ〜くっつかせてよぉ〜このままじゃ溶けてなくなっちゃうよぉ〜」

 情けない声を出して、足をじたばたさせる。みやちゃんは何も言わないし本に顔が隠れてるけど、一考してる気配はあった。チャンスはある。私はソファの上に正座をして、片手を高く挙げ提案する。

「クーラーつけていいですか、つけた暁にはくっついていいですか、みや様」

 本から顔を出したみやちゃんは、重々しく頷いた。

「……よかろう、特別に許可する」

「ひゃっほ〜」

 リモコンの信号を受けてピッと鳴り、ゴォーと涼しい風を吹き出すエアコンが頼もしい。ガラガラピシャンと閉じた窓は暑苦しい蝉どもの声も遮断する。

 みやちゃんから許可をもらったもうひとつのこと、すなわちみやちゃんにくっつくことも、間を置かずして実行。

「まだ全然暑いんだけど」

 なおも額に張り付いた髪の下、目元だけは涼しげにみやちゃんはこちらを鬱陶しそうに流し見た。

「すぐ涼しくなるって〜」

 べたつく腕を彼女に巻きつけ、にこにこして言ったら、みやちゃんはそれ以上何も言わずにまた本へ視線を戻した。私もようやくテレビに集中できる。みやちゃんのページを繰る音が今までより軽快に響く。

 そうして生き物がまともに思考できる気温になったなか、しばらくめいめい楽しんでいるうち、みやちゃんはのそのそ動いて私の膝の上に寝転がった。もう額に張り付いてはいない彼女の前髪を撫でながらテレビを見続ける。

 ときどき声を上げて笑う私に誘われたらしく、やがてみやちゃんは本を閉じ、同じくテレビへ視線を向けた。そして、寝転がったまま、

「駒子。この丸いキャラ、“モチ”って呼ばれてるけど、お餅なの?」

鼻にかかった甲高い声で「ムィムィムィ」と言葉らしきものをしゃべるピンクの生き物について私へ尋ねた。

「うん、餅アイスの子だよ。かわいいでしょ」

「このふわふわしてる子は?」

「イエティとワッフルの合いの子」

「何それ」

 ふっと笑ったみやちゃんは起き上がって、私に背中を預けた。すかさず私は両腕を彼女のお腹へ抱きつける。

 子ども向けだけど、出てくるキャラクターが可愛らしいのみならず、様々な文化を学べて人生の教訓も授けてくれる、ためになって面白い食育番組なのだ。いつの間にかみやちゃんも、しっかりテレビへ興味を移し、ときどき肩を揺らしてる。

 回した腕のなか、同じものを見て、笑って、体の小さな揺れをみやちゃんと共有するのが、しみじみと幸せ。

 その実感を噛み締めながら、私はモチの声を真似て、甲高い声音でつぶやく。

「ミヤチャン ダイスキー」

「え?」

 地声に戻して言い直す。

「みやちゃんだいすきーって言った」

「ワタシモー コマチャンダイスキー」

 みやちゃんもモチになってくれて、私たちは、ふふふ、と笑い合った。

 後ろからみやちゃんをぎゅっとして、左右にゆらゆらと揺れる。みやちゃんはされるがままになっている。

 その肩に顔を埋めて息を吸うと、ほのかに汗の匂いがして、それすらも愛しくて胸がいっぱいになる。

 キャミソールの肩口から出た素肌にキスを落とす。今は髪がひとつに結われて晒されているうなじにも唇を寄せる。彼女はくすぐったそうに身をよじらせる。私はその細い体を抱く腕の力をますます強めて、何度もキスを贈る。

 服の上から胸に触れたとき、みやちゃんはちょっとだけ振り返って訊いた。

「するの?」

「したい。……だめ?」

「私汗かいちゃったよ」

「うん」

 一歩も退く気配を見せずにそう応えたら、

  いいけど」

と小さく返事が返ってきた。そうこなくっちゃ。

 テレビを消して、ゆっくり何度も口を重ねる。

 後ろ頭が痛くならないよう、みやちゃんのポニーテールの髪の毛を解いてから押し倒す。緩やかに波打つ髪がソファの上に広がった。

「夏のみやちゃん、ゆるパーマでかわいい」

「湿気でうねるんだよね」

「春夏秋冬の各シーズン別のみやちゃんが見られて、私は幸せだなあ」

 うっとりして言った私の言葉にも、みやちゃんは拗ねたように口を尖らせる。

「私はいつでもまっすぐな駒子の髪がうらやましいけど」

 彼女の上へ垂れ下がる私の髪へ、みやちゃんは指をくるくる絡ませながら言った。

「ないものねだりだね」

 額同士をくっつけて私たちはくすくす笑い、それからキスをした。


   湿気でべっとりする、汗をかくだけの夏なんて、大嫌いだった。

 でも、みやちゃんに会ってからは、「ゆるパのみやちゃんを見せてくれてさんきゅー湿気」って思うし、「私とくっつくためなら電気代もケチらないみやちゃんを見せてくれてさんきゅー夏」って思う。

 春だって、秋だって、冬だって。

 それぞれに感謝してる。みやちゃんがいるから。


 今日は二人とも家を出ず、ブラをつけずに過ごしてたから、みやちゃんの細くて白い身体にはブラ跡もない。その代わり、重力へ従うままに胴体と接していた胸の下は、汗が乾いておらず濡れていた。その乳下をペロリと舐めてみたら、予想通り塩っ気が感じられた。

「ショッパイー」

 モチの声真似で味の所感を述べた私に、鋭い声が飛んでくる。

「なんつった」

「美味しいって言った〜」

 みやちゃんは無言で私の二の腕をぺちんと叩いた。


 その塩味と柔らかさと重みと固さを存分に堪能したあとは、下のほう。

「割れそうで割れないね」

 無駄な肉のない引き締まったみやちゃんのお腹には、綺麗に縦線が入っていて、横の線も浮かび上がりそうで浮かんでいない。縦線と、横線の入りそうな道を指先ですうぅ、と撫でる。みやちゃんは「ん」とかすかに息を漏らしてから言う。

「女の人で腹筋割るの、すごく大変らしい」

「へー」

 お腹を割ろうなんて試しもしなかったこの人生、私は気の抜けた返答しかできない。舌でそのありがたい筋肉の溝を辿っていると、そっと声がかけられた。

「……割ってほしい?」

 こう見えてみやちゃんは私のこと大好き人間なので、私がもし「割って」などと言おうものなら、ばきばきのシックスパックにすべく黙々と筋トレへ励み出すに違いない。にやりとして私は言い放つ。

「ううん、今のみやちゃんがサイコー。どんなみやちゃんもサイコー」

 くすりとして、みやちゃんは両腕を伸ばし、ショートパンツの裾から手を入れて私のお尻をむんずと掴んだ。

「こまちゃんは、最近触り心地がますますよくなってきたね」

「夏バテするかなーって期待しつつたくさん食べてたら、意外とバテずにただ単にたくさん食べて、ただ単にカロリーを余計に摂取してるだけのこまちゃんだからね」

 段々と熱を込めて私のお尻を揉みしだきだしたみやちゃんの腕を掴み、彼女の頭上で押さえつけた。主導権はまだ渡したくない。

「みやちゃんと毎日でも大運動会を開催しないと、ぶくぶく太っちゃう」

「……じゃあ、駒子にはちゃんとたくさん食べてもらわないと」

 卵が先か鶏が先か、みたいな話になってきたけど、白い脇の下を晒しながら少し恥じらい気味にそんなことをおっしゃるみやちゃんが可愛すぎて俄然、食欲もとい肉欲は増進する。

「みやちゃん食べちゃお」

 顎先、鼻先、肘をガジガジと歯を立てて戯れにかじってみせたら、彼女は頬を緩めながら、

「結局ずっと食べてんじゃん」

と招き入れるように私の首へ腕を回した。


 くっちゃべるのはそこそこにして、みやちゃんの身体に集中するうち、会話は途絶え、クーラーのかすかな稼働音と彼女の荒くなっていく呼吸、水音だけが室内の空気を震わせる。

「ん、あ。……ねえ、トイレ行きたく、んっ、なってきた、かも」

「気のせい気のせい」

 すると突然、みやちゃんが「あっ!」と声を張り上げた。

「トイレットペーパー買わなきゃ! 切れそうだったよね。メモして」

 冷蔵庫に貼ってある買い物リストにメモしろと、みやちゃんはのたまう。こちらが愛情たっぷりにみやちゃんへ尽くしているというのに、彼女はトイレットペーパーの在庫状況なんか気にしていて、私はおもしろくない。

 ちらりとキッチンのほうへ視線をやってから短く返す。

「遠いよ」

「んっ。……だって、あっ、忘れちゃう、じゃっんん」

 しばらく無言で攻め続ける。段々と余裕を失くして頬を上気させ、息を乱していく彼女を見据えながら伝える。

「じゃあ今言っておいて」

  ?」

 言葉の意味がわからず、みやちゃんは苦しげに眉をひそめた視線をこちらへ投げた。

「みやちゃんの声録音して、リマインダーに放っておくから」

 片手は彼女から離さずに、テーブルの上からスマートフォンを拾い上げて私はみやちゃんに笑いかけた。

「ばかじゃ、んっ……ないの……っ」

「私ばかだから、録音しておかないと忘れちゃうよー」

 スマートフォンを彼女の鎖骨の下あたりに置いて操作する。

 彼女に触れる指を、故意に遅く、浅くする。

「忘れるかもって思ったら心配で、気もそぞろになって手もうまく動かないなー」

 睨みつけられる。

 にやつく私の顔に鋭い眼光を投げつけていたみやちゃんだけど、やがてその顔は切なげに歪んでいく。私は意地の悪い笑顔を浮かべて問いかける。

「ね、イキたくない?」

「……」

 唇そのものには触れず、その近くばかりにキスしながら、少しずつ指の動きを早める。彼女は眉をしかめ、呼吸は再び荒くなっていく。

「録音するよ?」

 みやちゃんは首を力なく振るが、声を抑えるのに必死でたぶんそれどころじゃない。

 彼女の耳へ口を寄せ、囁く。

「ねえ、何が必要? みやちゃん教えて」

 一瞬のあいだ息を止めて耐えるみたいにしていたみやちゃんだけど、すぐに息を吸って、

「……っ、といれっと、ぺぇぱあ……!」

   舌ったらずで必死に答えてくれたみやちゃんが可愛くてたまらなく、私は肩を震わせた。でもみやちゃんは余裕のない声で懇願する。

「ねっ、ちゃんと、してっ……」

 私はにっこりして、唇と唇を合わせる。舌が絡み、背中に腕が巻きつく。


 …………

 ……


   いつの間にか、眠ってたみたい。

 みやちゃんの胸の上でうつ伏せになっていた頭をのろのろと上げたら、スマホの光に照らされてる彼女の顔が見えた。外はすっかり暗くなっていた。二人の上にはタオルケットがかかっていて、液晶画面を見ながら彼女は片手で私の髪の毛をいじってる。

 気怠い体を引きずって彼女の肩の上へ頭を預けた。みやちゃんの、くっきり浮き出た綺麗な鎖骨がよく見える。それを触りつつ、つぶやく。

「お腹すいた……」

「晩ご飯なにする」

「冷蔵庫、何がありましたっけ」

 問いかけにみやちゃんはスマホから目を離して思い出すみたいに、

「キャベツー、玉ねぎ、しいたけー……」

「にんじんー」

「あと、豚肉が冷凍してある」

「あっ焼きそばの賞味期限近いよ」

 はっとして言った私の言葉に、「あー」とみやちゃんは間延びした声を出した。

「みやちゃんのシーフード塩焼きそば食べたい」

「冷凍のシーフードまだあるっけ」

「うん」

「わかった、塩焼きそばね」

「やったぜ!」

 ガッツポーズを決めて勢いよく起き上がった私につられて、みやちゃんも起き上がる。

「でも、麺ひと玉しかないでしょ、あと副菜どうしよ」

「豆腐とミョウガあるから冷奴にしよ」

「で、卵も余ってるから卵スープとか、適当にするか。うん」

 献立の方針が決まったことに満足げなみやちゃんを眺めながら、私は湧き上がる衝動を口にした。

「みやちゃんの塩焼きそばと一緒に、ビール飲みたいなあ……」

 呆然とつぶやいた私へ、呆れたような言葉が返ってくる。

「ビール昨日全部飲んじゃったじゃん」

「だよねー……じゃあ、じゃんけんしよ」

「なんでよ。私焼きそば作るんだからその間に駒子が買ってきてよ」

「んー……」

 一瞬、「面倒くさい、それならいっそビールなしで」という感情が湧いたけど、「いや、みやちゃんの塩焼きそばにはビール必須」と思い直して、

「はい」

と私は素直に頷いた。みやちゃんはなぜか微笑んでる。

「なに?」

「駒子ぜんぶ顔に出てたから。面倒くさって思って、じゃあビールなくてもいっかって思いかけてから、でもやっぱ飲みたい! じゃあしょうがない行くか……ってなったでしょ」

「うん……」

 内心が全部知られてしまうのは、他の人なら居心地よくないけど、みやちゃんが私のことをわかっちゃって、そのうえ楽しそうにしてるのは、くすぐったい。

 ダイニングテーブルの椅子の背にかかっていた共用のパーカーを羽織り、冷蔵庫へくっつけてある買い物リストの付箋を剥がしてスマホの裏に貼る。

「いってらっしゃい」

「いってきまーす」

 サンダルをつっかけて出た外は、日も落ちて存外に涼しくなっていた。夜だしスーパーに行くだけだから、と眉毛も描いてこなかった顔を隠すためにフードを被ったら、みやちゃんの香りがして私の目尻は下がった。

 そのとき、スマホが震えたので確認すると、家から離れたことを感知したリマインダーアプリが、1件の通知を表示していた。その時点で何のことか思い出したのでファイルを開く必要もないけど、私は早速にやにやして道の端っこで立ち止まる。

 イヤホンを付けて再生ボタンを押す。最高に底意地の悪そうな自分の声がしたあと、息も絶え絶えに「といれっと、ぺぇぱあ……!」と喘ぐみやちゃんの最高に可愛い声が聴けたので、フードの下で隠れて笑った。そのまま何度か続けて「ぺぇぱあ」部分を聴いていたところ、また携帯が震えて、通知画面が示したのはみやちゃんからの、

『トイレットペーパー!』

という一言だけのメッセージだった。忘れずに買ってこいという意味なんだと思う。料理中に思い出したみやちゃんが慌ててメッセージを送った様子が目に浮かぶ。あんな辱めを受けたからには、トイレットペーパーを買わずに帰すわけにはいかない、という強い意志も感じる。笑う。

『今、みやちゃんのセクシーなペーパー聴いて思い出してたから大丈夫』と返事をする。するとただちに、

『今すぐそれ消して』と彼女は送ってくる。つかのま薄暗い夜空を見上げて考えた私は、彼女へのメッセージを細切れに送っていく。

『あと100回聴いてから、』

 既読マークがすぐつく。

『そのあとみやちゃんにも聴かせて、』

 既読。

『みやちゃんが恥ずかしがってるとこ見て、』

 既読。

『そしたら消します』

 既読、間髪をいれずに、

『今おまえを消します』

という返答。

 くくく、とひとしきり一人で肩を震わせたのち、猫が慄いているスタンプだけを送った。

「だけどこの音声を残してると、きっと本当にものすごく怒られるだろうな」と思って、惜しいけどもう一度だけ聴いてからそのファイルは消した。忘れないよ、ぺぇぱあ。

 歩き出してから思いついて、一度ポケットに入れたスマホを取り出し、ととと、とメッセージを打つ。

『でも私が消えちゃったら、みやちゃん悲しいでしょ?』

 考えるような間があってから、『否定はしない』という文言のついた、いかにも不服そうな表情の熊のスタンプだけが返ってきた。

 あーかわい。みやちゃんの好きなクラフトビール買っちゃお。

 高いんだからいいのに、って怒られそうだけど。

 私は満面の笑顔を浮かべて、ひんやりしたスーパーへ入った。


 そうしてしこたまビールを買って、トイレットペーパーは案の定買い忘れて帰ったので、私はみやちゃんにものすごく怒られた。


 私たちは、出来上がった焼きそばが冷たくならないうちに1本のビールを半分ずつ飲んで焼きそばを食べ、トイレに行きたくならないうちに二人で再びスーパーへ行ってトイレットペーパーを買い、そうするうちに二人とも結局トイレに行きたくなって帰り道は小走りして、トイレの順番を争ってじゃんけんをした。


   そういう、みやちゃんとのなんでもない日。

 季節が巡っても、何度でも。

 繰り返したい、なんでもない日。

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